だい6 回 「おしえて?赤十字」 |
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●ナイチンゲール (その2) | |
- 2000年6月号 -
1855年9月にクリミア戦争(せんそう)はおわりました。 1856年には、ナイチンゲールもイギリスにかえりましたが、クリミアではたらきすぎたために からだがすっかり弱(よわ)ってしまい、それからは車(くるま)イスの生活(せいかつ)になってしまいました。 それでも、ナイチンゲールは、病院(びょういん)をよくするために、はたらきつづけました。 ベットのうえで、12,000もの手紙(てがみ)、論文(ろんぶん)、本(ほん)を書(か)き、 イギリスの女王(じょうおう)や大臣(だいじん)も説得(せっとく)しました。 1860年、ナイチンゲールに感謝(かんしゃ)した人びとから寄付(きふ)されたお金(かね)で、 ロンドンのセントトーマス病院のとなりに「ナイチンゲール看護学校(かんごがっこう)」をつくりました。 世界(せかい)で、はじめての看護学校(かんごがっこう)です。 この学校の教育(きょういく)はたいへんきびしく、たくさんの学生(がくせい)がすぐれた看護婦(かんごふ)になりました。 そして、世界じゅうで活躍(かつやく)し、看護(かんご)という仕事(しごとの)のたいせつさを、人びとにみとめさせました。 そのご、ナイチンゲールの考(かんが)えを模範(もはん)にした看護学校(かんごがっこう)は、世界じゅうにつくられるようになりました。 ナイチンゲールは90才(さい)のおばあさんになりました。 1907年、イギリスから最高(さいこう)の勲章(くんしょう)が贈(おく)られました。 1910年8月13日、ナイチンゲールは、ロンドンのサウスストリートのアパートで眠るようにしずかに生涯(しょうがい)をとじました。 【フローレンス・ナイチンゲール】 Frorence Nightingale(1820-1910) |
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