だい17 回 「赤十字たんけん隊」 |
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●米百俵の群像! | |
- 2001年5月号 -
長岡赤十字病院のとなりの「千秋が原ふるさとの森」には、 米百俵(こめひゃっぴょう)の像(ぞう)がありますよ。 ◆◆ 米百俵のおはなし ◆◆ 『戊辰戦争(ぼしんせんそう)』のとき、長岡でもはげしいたたかいがあり、 まちは焼け野原(やけのはら)になってしまいました。 長岡のひとたちはたべものもなく、たいへんくるしんでいました。 このとき、三根山藩(みねやまはん:いまの巻町)から、おみまいの米が百俵(ひゃっぴょう)とどけられました。 これをきいた人たちは、「やっとごはんがたべられる」とよろこびました。 しかし、指導者(しどうしゃ)の小林虎三郎(こばやし とらさぶろう)は、 「この米をみんなにわけても2・3日でなくなり、なにものこらない。といって、みんなを説得(せっとく)しました。 こうして、1870(明治3)年から国漢学校や医学局、洋学校がつくられました。 国漢学校(こくかんがっこう)はさいしょは長岡駅前の大和デパートのところにつくられました。いまの阪之上小学校です。 洋学校(ようがっこう)はいまの長岡高校になりました。 長岡赤十字病院も、このときつくられた医学局(いがくきょく)がもとになっています! |
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