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5月は赤十字の月です。 5月8日は「赤十字の日」でデュナンの誕生日。 5月12日は「看護の日」でナイチンゲールの誕生日。 |
2000年5月号の「おしえて?赤十字」 |
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●ナイチンゲール (その1) | |
ナイチンゲールのおはなしを読(よ)んだことがありますか? フローレンス・ナイチンゲールはクリミア戦争(せんそう)のときに活躍(かつやく)した看護婦(かんごふ)さんです。 ナイチンゲールは、1820年5月12日に、イギリスのお金(かね)もちの家(いえ)にうまれました。 馬車(ばしゃ)にのって、王様(おおさま)のダンスパーティーにでかけるようなぜいたくなくらしでした。 でも病気(びょうき)の人のお世話(せわ)をするほうが好きだったナイチンゲールは、看護婦(かんごふ)になることを決心(けっしん)しました。 家族(かぞく)は、びっくりして反対(はんたい)しました。そのころ、病院(びょういん)は暗(くら)くてきたないところだったからです。 それでもナイチンゲールは看護婦になるため勉強(べんきょう)をつづけ、ドイツの病院(びょういん)できびしい訓練(くんれん)をうけました。 1853年にやっと、ロンドンの病院の監督(かんとく)になることを、おとうさんがみとめてくれました。 そしてナイチンゲールは、それまで暗(くら)かった病院を、たったの一年ですばらしい病院にかえてしまいました。 1854年にクリミア戦争(せんそう)がおこり、たくさんの兵隊(へいたい)がけがをしましたが、ひとりの看護婦(かんごふ)もいませんでした。 この人たちをたすけるため、ナイチンゲールは38人の看護婦をつれてクリミアへいきました。 1000人ものけが人を看病(かんびょう)するだけでなく、よごれた病院(びょういん)をそうじし、シーツをきれいに洗濯(せんたく)し、 あたたかい食事(しょくじ)をだしました。 ナイチンゲールの努力(どりょく)のおかげで、けがをした人が死んでしまう割合(わりあい)は40%から2%にへりました。 敵・味方(てき・みかた)のくべつなく、けが人をたすけたナイチンゲールの活躍(かつやく)は、 デュナンが「赤十字」をつくるのに大きな影響(えいきょう)をあたえました。 【フローレンス・ナイチンゲール】 Frorence Nightingale(1820-1910) |
2000年5月号の「赤十字たんけん隊」 |
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●“ともしび”の像(ぞう)! | |
ナイチンゲールは、夜中(よなか)になってもランプをもって、はたらきました。 病室(びょうしつ)をまわってはげましたり、戦場(せんじょう)にけが人がいないか、さがして歩いたりしました。 兵隊(へいたい)たちはナイチンゲールを“ランプをもつレディ”とよんで感謝(かんしゃ)しました。 この写真(しゃしん)は、長岡赤十字看護学校(ながおかせきじゅうじかんごがっこう)にある “ともしび”の像(ぞう)です。 長岡赤十字病院(びょういん)のとなりの建物(たてもの)のいりぐちにあります。 病気(びょうき)の人の心(こころ)も、あかるく・あたたかくできるように、 ランプは看護婦(かんごふ)さんのシンボルマークになっています。 国際看護婦協会(ICN)のマーク 日本看護協会(JNA)のマーク |
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