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千秋が原のサクラの花も ほころんできました。 |
2000年4月号の「おしえて?赤十字」 |
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●赤十字をつくった人:デュナン (その2) | |
「ソルフェリーノのたたかい」のあと、デュナンは、いろいろな国(くに)をいっしょうけんめいに説得(せっとく)しました。 これに賛成(さんせい)した人たちがあつまって、五人委員会(ごにんいいんかい)をつくりました。 この「五人委員会」が、今の「赤十字国際委員会(せきじゅうじこくさいいいんかい)」です。 【写真は 5人委員会のメンバー】 ギュスターブ・モアニエ(左上) アンリ・デュナン(右上) アンリ・デュフール(中央) ルイ・アッピア(左下) テオドール・モノアール(右下) この人たちの努力(どりょく)で、1863年に赤十字が誕生(たんじょう)しました。 しかしデュナンは、赤十字を作ることにいっしょうけんめいになったため、じぶんのお金(かね)もつかいはたし、破産(はさん)してしまいました。 何年(なんねん)もたって、みんながデュナンのことを忘(わす)れかけていたとき、ある新聞記者(しんぶんきしゃ)がスイスの病院(びょういん)に いた 67歳のデュナンにであい、1895年「この人が、アンリー・デュナンだ」としらせました。 世界中(せかいじゅう)の人たちは、デュナンがまずしいくらしをしていることに、とてもおどろきました。 そして、1901年に第1回のノーベル平和賞(へいわしょう)がデュナンにおくられました。 でもデュナンは、その賞金(しょうきん)のほとんどを赤十字に寄附(きふ)し、1910年10月30日に82歳でしずかに生涯(しょうがい)をとじました。 だから、アンリー・デュナンは「赤十字の父(ちち)」とよばれ、その考(かんがえ)えかたは、世界中(せかいじゅう)の赤十字にうけつがれています。 【ジャン・アンリ・デュナン】 Jean Henri Dunant (1828-1910) |
2000年4月号の「赤十字たんけん隊」 |
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●赤十字国際委員会(こくさいいいんかい)の絵! | |
長岡赤十字病院(ながおかせきじゅうじびょういん)にも、赤十字国際委員会(せきじゅうじこくさいいいんかい)の建物(たてもの) をかいた絵(え)があるよ。 2階のエレベータのりばの左がわ、 3月号のデュナンの像(ぞう)のとなりです。 この建物(たてもの)は、デュナンのうまれたスイスのジュネーブにあります。 【Roger Forissier 作 1987 】 「CICR」はフランス語(ご)で、赤十字国際委員会(せきじゅうじこくさいいいんかい) のこと le Comite' international de la Croix-Rouge (CICR) です。 英語では The International Committee of the Red Cross (ICRC) だよ。 |
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