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 ねん がつ ごう

 2003

9



2003年9月号の「おしえて?赤十字」

おしえて赤十字 ●シベリアのポーランド孤児(こじ)

ロシア 革命(かくめい)のあとの  戦争(せんそう)のせいで、シベリアにいたポーランド人たちは、 たべものもなく、さむさと  病気(びょうき)でくるしんでいました。
とくに、戦争で  親(おや)をなくした 孤児(こじ)たちはひさんな  生活(せいかつ)をしていました。

ポーランド孤児-大阪 【ポーランド孤児】
 大阪府支部に収容された
 ポーランド孤児
 1922(大正11)年

日本赤十字(にほんせきじゅうじ)は、この孤児たち 765人を、ふるさとポーランドへおくりどどけるてだすけをしました。
これは、日本赤十字でさいしょの 外国人(がいこくじん)への 難民救護(なんみんきゅうご)のかつどうでした。

ポーランド孤児-食事
【食事をするポーランド孤児】
 大阪の施設での食事風景
 病気の子供も多く、
 手厚い看護をうけた。

第1回は1920(大正9)年から、375人の孤児を  東京(とうきょう)へ、うけいれました。
1年のあいだ、日本でくらして 元気(げんき)になり 、横浜(よこはま)からアメリカをとおってポーランドへかえりました。
第2回目の孤児たち390人は  大阪(おおさか)でせいかつしたあと、 神戸(こうべ)からイギリスをとおってポーランドへかえりました。

ポーランド孤児-神戸
【ポーランドへの帰国】
 神戸から船でポーランドへ
 帰国する孤児たち。
 1922(大正11)年

ポーランドの人たちは、いまでもこの  恩(おん)をわすれていません。

1995年の 阪神大震災(はんしんだいしんさい)のあと、 地震(じしん)で親をなくした日本の子どもたち30人が ポーランドにまねかれ、たいへんなかんげいをうけました。 ポーランドの人たちは「75年前にシベリアから孤児を助けてくれたおんがえしです」と言ったそうです。

もう80歳以上になった4人のポーランド孤児たちもやってきました。 日本の子どもたち一人一人にバラの花をわたし、日本のおもいでをはなしてくれたそうです。




2003年9月号の「赤十字“化石”たんけん隊」

赤十字たんけん隊 ●これも二枚貝(にまいがい)!

長岡赤十字病院(ながおかせきじゅうじびょういん)にある 石灰岩(せっかいがん)には、べつの貝 の化石( かせき)もはいっています!
二枚貝化石
みぎの石で 、黒(くろ)っぽいUのようにみえるところも 二枚貝(にまいがい)の化石( かせき)です。
二枚貝化石
ちいさな二枚貝がたくさんあつまって見えているところだそうです。


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