だい16 回 「おしえて?赤十字」 |
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●日本赤十字をつくった人:佐野常民(2) | |
- 2001年4月号 -
佐野常民(さのつねたみ)は、ヨーロッパにいったとき、戦争(せんそう)できずついた人たちを敵・味方(てき・みかた)のくべつなくたすける赤十字のことをしり、とても感動(かんどう)しました。 1877年(明治10年)、佐野常民が55才(さい)のときに、九州で『西南戦争(せいなんせんそう)』というたたかいがあり、たくさんの人がきずつきました。 佐野常民は、ともだちの大給恒(おぎゅうゆずる)といっしょに、日本にも赤十字のような団体(だんたい)をつくろうとしましたが、政府(せいふ)からことわられてしまいました。 「敵(てき)の兵隊(へいたい)もたすける」のがダメだといわれたのです。 【佐野常民像】 高田博厚 作:日本赤十字社 蔵 それで、佐野常民は九州までいって、政府の指揮官(しきかん)の有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)にちょくせつおねがいました。 きずついた兵隊(へいたい)がくるしんでいることをしっていた有栖川宮はすぐに許可(きょか)しました。 【有栖川宮に願書を提出する佐野】 熊本洋学校教師館 (ジェーンズ邸) 5月1日に『博愛社(はくあいしゃ)』をつくった佐野常民たちは、すぐに活動(かつどう)をはじめました。 医者(いしゃ)や看護婦(かんごふ)など199人がいっしょうけんめいにはたらき、1049人もの患者(かんじゃ)さんをたすけました。 たくさんの人のいのちをすくった博愛社の活動は、そのころの人たちをとても感動(かんどう)させたといわれています。 佐野常民はそのあと、日本赤十字社の社長(しゃちょう)になってかつやくし、1902年(明治35年)12月7日、81才(さい)でなくなりました。 佐野常民がうまれた佐賀県川副町早津江(さがけんかわそえまちはやつえ)には、「佐野記念館」があり、まい年12月7日には「佐野祭」がおこなわれています。 |
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