だい23 回 「おしえて?赤十字」 |
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●赤十字のさきがけ:高松凌雲 | |
- 2001年11月号 -
日本(にほん)の赤十字は、『西南戦争(せいなんせんそう):1877年』のときに 佐野常民(さのつねたみ)たちがつくった「博愛社(はくあいしゃ)」がはじまりです。 でも、もっとはやくかつやくし、「赤十字のさきがけ」といわれるのが、 高松凌雲(たかまつりょううん)という人です。 【高松凌雲】1836〜1916 (たかまつりょううん) 高松凌雲は1836年に九州(きゅうしゅう)の筑後国古飯村(いまの福岡県小郡市おごおりし)でうまれました。 江戸(えど)や大阪(おおさか)のゆうめいな先生(せんせい)から、外国(がいこく)の科学(かがく)や 医学(いがく)をまなび、徳川幕府(とくがわばくふ)の医師(いし)になりました。 1867年の第2回パリ万国博覧会(ばんこくはくらんかい)には、佐野常民といっしょに高松凌雲も参加(さんか)しました。 ここで赤十字のことをしり、「神の館(かみのやかた)」というパリの市民病院(しみんびょういん)で麻酔(ますい)や手術(しゅじゅつ)をまなびました。 この「神の館」はまずしい人たちをたすけるための病院(びょういん)でした。 【五稜郭】北海道 函館市:特別史跡 ごりょうかく 箱館戦争の舞台となった日本最初の洋式城郭。 現在は公園、桜の名所。 1868(明治1)年、高松凌雲が33才(さい)のときに、北海道で『箱館戦争(はこだてせんそう)』というたたかいがあり、 たくさんの人がきずつきました。 このとき高松凌雲は箱館病院(はこだてびょういん)で、きずついた人たちを敵・味方(てき・みかた)のくべつなくたすけ、 けがをした人たちと病院をまもりとおしました。 そのあと高松凌雲は、まずしい人たちをたすけるために、1879(明治12)年に『同愛社(どうあいしゃ)』という団体(だんたい)をつくりました。 60いじょうの施設(しせつ)をつくり、1916(大正5)年に80才(さい)でなくなるまで、まずしい人たちをたすけるためにつくしました。 たくさんの人のいのちをすくった高松凌雲は、日本(にほん)でさいしょの赤十字的活動(かつどう)として尊敬(そんけい)されています。 高松凌雲のことは、「夜明けの雷鳴(よあけのらいめい)」という小説(しょうせつ:吉村昭著、文芸春秋)にもなっています。 |
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