だい26 回 「おしえて?赤十字」 |
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●トルコ軍艦(ぐんかん)のそうなん | |
- 2002年2月号 -
本州(ほんしゅう)でいちばん南(みなみ)にあたる和歌山県串本町(くしもとちょう)の大島(おおしま)には、 日本でいちばんさいしょにつくられた石づくりの灯台:樫野碕灯台(かしのざきとうだい)があります。 【樫野碕灯台】1870(明治3)年に点灯 設計・建設:リチャード・H・ブラントン 冬には、英国人技師が故郷をしのぶために植えはじめた 11万本のスイセンが咲きます。 1890(明治23)年9月16日の夜、この灯台のまえの海(うみ)で、トルコの軍艦(ぐんかん):エルトゥールル号 (Ertugrul)が遭難(そうなん)するという悲劇(ひげき)がありました。 この船(ふね)には、オスマン・パシャ将軍(しょうぐん)たち656人がのっていました。 トルコ皇帝(こうてい)アブデュル・ハミト2世から日本へのおくりものをとどけたあと、台風(たいふう)で 岩(いわ)にしょうとつして沈没(ちんぼつ)してしまったのです。 大島の人たちはいのちがけで救助(きゅうじょ)をおこない、69人のトルコの人をたすけました。 台風でサカナがとれなくて自分たちもこまっているのに、さいごのサツマイモや、 いえのニワトリをみんな出しあって、ケガをしたトルコの人たちに食べさせました。 219人の遺体(いたい)をみつけ、樫野碕の丘(おか)にお墓(はか)をつくりました。 いま、ここには「遭難碑(そうなんひ)」と「トルコ記念館(きねんかん)」がたっています。 このとき、日本赤十字(にほんせきじゅうじ)も医師(いし)や看護婦(かんごふ)9人をおくって ケガをした人たちのてあてをしました。 これが日本赤十字ではじめての、外国人(がいこくじん)にたいする救護活動(きゅうごかつどう)でした。 【トルコ軍艦遭難碑】 10年ごとにトルコから軍艦(ぐんかん)や大使(たいし)が大島をおとずれ、エルトゥールル号の救助に感謝(かんしゃ)する 慰霊祭(いれいさい)がおこなわれています。 このときの大島の人たちの救助(きゅうじょ)は、トルコでは学校の教科書(きょうかしょ)にものっているおはなしだそうです。 1985年のイラン・イラク戦争(せんそう)のとき、イランにいた日本人215人は、戦争から逃(に)げようとしましたが、 飛行機(ひこうき)がなく、パニックになっていました。 タイムリミットのぎりぎりのとき、トルコの飛行機がたすけにきてくれて日本まではこんでくれました。 このときトルコの人たちは「95年まえのエルトゥールル号のおんがえしです」と言ったそうです。 |
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